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第九回 我が時代

山下 直紀(投てき・跳躍)  
71期(2017年3月卒業)

【自己紹介】

桐朋陸上部時代の記録

走高跳 185

円盤投 38721.75kg

 

執筆時(20263月現在)は日本体育大学の大学院に在籍し、4月から助教をします。博士論文を提出し終えた日に後輩の麻沼君(74期)から着信がありました。「山下先輩の住んでいるところの隣駅で飲んでいるので来てください」と言われるがまま向かった場所に先生もいらっしゃって、執筆を依頼されて今です。急展開過ぎて何から書くべきか迷いましたが、今を桐朋陸上部で過ごす学生達に伝えられることを、思い出を振り返りながらただ綴ろうと思います。

 

私は皆さんに、直感を大切に、打算的にならず愚直でいてほしいと願います。もっと素直に限界を攻めてください。

 

中学生期

 私が桐朋陸上部に入るきっかけは、中学2年生の春の出来事でした。56月は体育の授業でハードル走が行われます。その授業で、当時は野球部に所属していた私に外堀先生が声をかけてくださりました。その時は中2の私の何かしらを買ってくれる大人がいることに驚きました。これは面白いことが待っているに違いないという直感に従い、夏休みに入ると同時に野球部を退部し、今もなお続く陸上競技人生を歩き始めます。

このような経緯で入部した直後に、その年の全中で石川遼先輩(70期)が走高跳で優勝する瞬間を目の当たりにし、感化された私は、メイン種目に走高跳を選び、のめり込みます。しかし、皆さまご存じの通り、中学陸上は地域別大会に始まり、都大会、通信大会を経ながら、関東や全国への出場を目指します。中2の夏休みから入部した私は夏の大会に向けてのチャンスが1度しかありませんでした。当時の私は都の強化選手という存在に勝ちたくてたまりませんでした。なので、とにかくやるしか無かったわけです。上手になろうとかではなく、強くなるしかないと思って何でもやりました。勉強そっちのけで。(これに関しては過ちです。補習の常連になりました。)

 迎えた中学3年生のシーズン。走高跳では通信大会までの標準記録をあっという間に超えていました。都大会では182cmと、全国標準まで3cmに迫り3位入賞を果たしました。通信大会でも1歩届かず、全国大会出場は叶いませんでしたが、200mの藤本君(71期)、棒高跳の田村君(71期)と共に関東大会へ出場できました。各種目において、都大会優勝と通信大会優勝の2名と、それらを除いた最高記録の選手1名の計3名が選ばれるのですが、私はその当落線上に居ました。今でも、自身の競技を終えた後に行われていた四種競技の走高跳を藤本君と一緒になって「182以上誰も跳ぶな・・・」と祈って見ていたことを覚えています。

 

 ここまで、ただ1回のチャンスに向かって何も考えずひたすら突き進んでいた私は、関東大会を直前に足りなかった3cmに囚われてしまいます。あと少し上手ければ・・・と、助走、腕振り、踏切、空中動作と、あらゆる動きに思考を巡らせました。選手の成長には必須のプロセスですが、案の定リズムを崩した私は、最近では失敗のなかった175の高さに対して2度失敗しました。その時スタンドの先生からいただいたアドバイスは何一つ覚えていません。気づけば助走位置に立ち、3本目を走り出していました。しかしここからは鮮明で、上手に跳ぼうとした私は、バーを思いっきりひっかけました。「コンッ」と言う軽い音と足の感触はいまだに脳裏に焼き付いています。少しだけ賢くなってしまったために失敗したような気がしています。小手先だけ上手くなろうとしたことを後悔しています。そこから迷走しながら残りのシーズンを過ごし、高校に上がって少しした頃の私は都一年生大会の男子円盤投の表彰台に立っています(なぜ円盤投をしているかの理由は話がそれるので割愛します)。

高校生期

 高校一年生の冬に届いた都の選抜合宿への案内には「円盤投」と書かれていました。桐朋陸上部には専門的な指導者が不在かつ、安全に投てきするための環境も十分に整っていない中で、私は合宿でできるだけのものを得られることを期待していました。もちろん様々なトレーニングや技術練習を教わりましたが、合宿で投てきの先生が最後に仰ったことは、「基礎を固めるために約3ヶ月後の春合宿までにターン練習を続けること。合計で10000回は回ってください(笑)。」でした。もちろん本気では無かったと思います。参加していた学生も冗談半分で流していました。まあ誰もやらないだろうなという空気を感じました。なので、実際にやってみました。周囲を出し抜けるチャンスを感じました。単純に1100回としたら×100日です。3か月間さすがに休み無しでは無理だと思ったので、1日のノルマを200300回にして、下校後に可能な日はマンション下の駐車場でターン練習をし、結果として春合宿までに15000回以上はターンをしました。合わせてメディシンボール投げ100回を週に23回は自主的に取り入れた記憶があります。

 その甲斐あってかターンでバランスを崩すようなことは滅多に無くなり、春合宿では先生方から「本当にやるなんてお前は頭がおかしい」と褒められ(?)、記録は伸びていき(春合宿前3571➡合宿後の競技会3845)、新人戦で優勝したりします。これによって得られた安定感は新しい挑戦を楽しいものにしてくれました。「根拠の無い自信」ではない確かなものを得るために必要な時間でした。

 このままだと中高ずっと勉強してない人になっているので少しだけ勉強の要素を書かせてください。「110時間机に向かってみたら世界変わるよ。」と、有村先生が授業でおっしゃっていたので、高2の夏休みに5日ほど実際にやりました。世界変わるのでオススメです。みんなも110時間勉強を経験して世界を変えよう。(でも桐朋生のみなさんのことだからこれくらい当然していますね。)

卒業後~今

 これだけ陸上競技漬けの日々を過ごしていたこともあり、スポーツ指導(コーチング)に興味を持った私は体育系の大学に進学しました。競技面では、大学2年生の時に関東インカレに出場することが出来ました。ただ試合直前に怪我をし、最下位に終わりました。そのとき私は、自分の限界のその先で、更に限界を攻め続ける人が見ている世界を知りたくなりました。サポートする側に回ることで、私に力だけでは見ることのできなかったレベルの世界を覗こうと思ったのです。そうして総部員400人弱の部活の統括役を買って出たり、大学院に進学したりします。今までちゃんと勉強してなかったツケを机に張り付いて支払いながら、コーチング科学という学問領域に身を置く人間になりました。院生のころから幸運なことに、学生トップや、世界で戦う選手のサポートに従事する機会をいただいています。
 

ここまで過去から現在にかけて、私の思い出とともに綴ってきたわけですが、私の経験から一貫して言いたいことは、冒頭に述べたことです。

私は皆さんに、直感を大切に、打算的にならず愚直でいてほしいと願います。もっと素直に限界を攻めてください。

成長するにつれて人は、合理的な判断をし、負けない選択をしていくようになるでしょう。賢く生きていくこと、時にそれは正しいです。しかし、効率よく取捨選択をしているつもりが、面倒に感じる選択肢をシャットアウトしていませんか。恥を恐れずガムシャラに突き進む選択を排除していませんか。大学院でスポーツの研究をしているという立場になると「効率の良い勉強・練習方法はないの?」と聞いてくる人にたくさん出会います。先述のように補習常連で机に張り付くしかなかった私からすると、無いです。3ヶ月間、毎日のように回って15000回は円盤投の動作を繰り返した私からすると、無いです。修士の頃にお世話になった助教の方が、「研究の世界は、俺たちがスポーツに取り組んだ時間の分、机に座っていたような人たちと勝負するってことだからな。」と仰っていました。その逆も然りですね。

小手先だけの何かを求め、実力で負けを突き付けられることを恥ずかしがっているうちは、なりたい姿には到底なりません。強くなるための近道は、まっすぐ進むことです。愚かなほど素直になって、まずやってください。やって届かなかったら考えましょう。ここで初めて上手さで縮められるかもしれません。視点や立場を変えることで輝くかもしれません。現役部員の皆さんは、陸上競技を始めとして取り組むこと全てに、真っすぐぶつかっていってください。学生のうちは、考えるのはそれからで良いと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。