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第七回 我が時代

藤本 理玖(短距離)  
71期(2017年3月卒業)

【自己紹介】

 桐朋時代の記録 
  100m 13‘48 → 11’36
  200m 25’06 → 22’33
  400m 53’63 → 48’50
     大学では発展途上国の子供達への給食支援活動に取り組んでいます。 

はじめに

小学校の時にリレーの選手に選ばれたことがきっかけで走ることが好きになりました。しかし中学校に入って入ろうと思った部活は卓球部でした。このとき卓球部に入っていたら私の人生もかなり違うものになっていたと思います。小学校からの同級生である増永くんに一緒に入ろうと誘われただけで陸上部に決めました。このような入部でしたが、桐朋陸上部ではかけがえの無い仲間と経験に出会えました。ここには書き切れない思い出がたくさんあります。


藤本流 400mを速く走るコツ

 中学生になって初めて声をかけて頂いた先輩が一つ上の中谷先輩です。中谷先輩は初めは少し怖そうな印象でした。しかし入部したてで何も分からない私に様々なことを教えてくれた憧れの先輩です。(知らない内に辞めてしまっていて悲しかったです。)高校生になってからは今なお数多くの桐朋記録が残る尾﨑先輩の存在がとても刺激になりました。

ピッチのリズムの確立+そのリズムを終盤まで維持して落とさない+普段の練習からこの2つを意識して練習をする

身長が大きくなくても、400m走はこのポイントを意識すれば確実に速くなると考えます。

ここでは尾﨑先輩と2年間一緒に400mを走ってきて気づいたことを3つ紹介します。動画を見ていただくと分かりますが尾崎先輩はピッチ型です。しかしピッチ型でない私も尾崎先輩のこれらのポイントを真似することで速くなったと断言できるので是非実践してみて下さい。

  • 1
    ピッチのリズム
     

     ピッチが速い人も遅い人も世の中数多くいると思います。そのような中で400mを走っていると毎回最初の速度に悩むと思います。そんな時は普段の練習から足をつくリズムを決めてしまう事が大事です。

     つまり、【速い先輩と同じピッチで走ってみる】という事です。私は速い選手はきっと速い理由(体力がある、体を上手に使えている、接地のタイミングが良いなど)があると考えています。しかし、それらの多くは一朝一夕で身についたりするものではありません。そんな中でピッチを真似することは比較的簡単にできると思います。先輩方の動画を見て、自分に一番あったピッチを探してみるのもいいかもしれません。私のピッチが知りたい方は練習に遊びに行った際にでも聞いてください。
  • 2
    練習を試合と思え

    尾崎先輩は走る際には集中した表情になって、練習でも全部1位を取るんです。11本手を抜かないことが実を結ぶのだと今になって思います。有村先生が「練習を試合と思え、試合を練習と思え。」とおっしゃっていた様に、練習で常にやり切ったと自信を持つことができれば本番では緊張しません!(多分)
  • 3
    試合の際は絶対カルピス

     尾﨑先輩は試合の際カルピス以外の飲み物を一滴も飲んでいません。もしかすると速さの理由だったのかも知れないので、気になった方は是非挑戦してみてください。私は実践していません(笑)

    しかし、試合の時にルーティン(レッドブルを飲む、好きな動画をみるなど)を決めておくことはやる気スイッチを入れる役目もあっていいことなのかもしれません。私は試合で走る前には必ずレッドブルを飲んでいました。

     

     中3の全国大会の日、今では日本記録のS.A.ハキームに普段から体を冷やさないために絶対アイスを食べないと言われました。当時から全国トップクラスだった彼もこのような地道な努力からできていたのか。2013820日、この日から私のアイスを食べない生活が始まりました。彼も試合の日の朝必ずレッドブルを1本飲んでくるようです。

怪我の多い陸上人生

 高校2年生の4月に膝が痛くなり始めました。最初はカーブを曲がる際にチクッとした痛みが出る程度でした。その年の都大会には400m40年ぶりに桐朋生が都大会ワンツーフィニッシュです!!)とマイルリレーで出場し、どちらも南関東大会に進出することが出来ました。このあと段々と痛みが悪化してしまったため南関東大会にはマイルのみで出場することに決めました(桐朋新記録です!!)。その後2ヶ月練習を休んでも全く痛みが引くことはありませんでした。病院に行くと、診断された病名は「滑膜ひだ障害」というもの。手術をしないと完治する事のない病気と知った日は流石に一日泣いていました。引退までの残された時間を考えると手術をすることは出来なかったため、痛み止めを飲んで走り続けることにしました。1016日の日本ユース大会はビリでしたが、1週間後の関東新人では自己ベストタイ記録で3位。今考えてみると、私の体が最後の力を振り絞ってくれたのかもしれません。

 当時は膝の痛みを少しでも減らすことに必死でした。毎週片道2時間かかる病院に通って朝昼晩と欠かさず痛み止めを飲んでいました。しかし痛みが引くことは無く、膝は曲がらなくなり、足の長さも左右で違ってきました。それでも有村先生と掲げた「全国大会の表彰台に上がる!」という夢を諦めきれませんでした。皆の期待に応えてもしかしたらもう一度満足いくまで走ることができるのかもしれないと思っていました。

 高3として迎えた都大会は個人7位、リレーはどちらも9位で悔しいなんてもんじゃありませんでした。引退試合の学年別大会では4×100リレーのラスト20mで肉離れしてしまい、その後2ヶ月間松葉杖登校になりました(笑)

 思い返してみると中1の時から怪我が多く、毎冬リハビリと筋トレばかりでした。さらに高3は受験勉強も本格化します。皆と一緒に練習ができず筋トレをする位なら部活を辞めて勉強したいと心の底から思っていた時期もありました。(みんなが楽しそうに走ってるのが羨ましくて陰でかなり泣いていました…石川先輩が見かけて励ましてくださったとき、とても嬉しかったです!

それでも部活を続けたのは、走ることが大好きで、共に競い合った皆、指導して下さった多くの方々が大好きだったからです。私は最後までやり遂げた時の達成感や仲間との絆を桐朋陸上部で学びました。

71期 陸上競技部のメンバー

さいごに

 中3、高3とキャプテンを務めましたが正直みんなをまとめあげたり、細かいところまで気を使うことは苦手でしたしかし「千年に一度のマネジャー」と外堀先生に呼ばれた斉藤くんや大人びていて後輩からの慕われ方が尋常ではない関根くん、お互い足がつらない工夫をし合っていた真田くん、いつもしっかり意見を伝えてくれる山下くんなど皆のお陰で都大会優勝を目標に掲げるチームが出来上がったと思います。
 
唯一の心残りは、怪我のせいで高校時代にあまり大会に出られなかったことです。100m200mももっと走って結果を残したかったです。
 
多くの方に支えられて楽しい陸上人生でした。もう走れないと伝えた時に「君には別の道がある。」と励ましてくれた先生の言葉は今でも忘れられません。ありがとうございました。

 桐朋陸上部の益々の活躍を願っています。