今回第三回目の「我が時代」を担当させて頂くことになりました、第60期卒業生の大垣です。これまで二回の「我が時代」は跳躍・ハードルの方と短距離の方がそれぞれ担当されており、「三回目になる今回は長距離の人が担当する」という中で外堀先生が自分に声を掛けて下さいました。当然陸上部のOBで長距離経験者は私以外にもたくさんいますし、また現在大学で陸上を続けている長距離OBも(私が知るだけでも)結構います。そのような中で私が今回の記事を担当させて頂くことになり恐縮するばかりですが、せっかく頂いた機会ですので、「少しでも中身のあるものを提供できれば・・・」という思いを持ちながら担当させて頂くことに決めました。何か一つでも現役部員の皆さんに伝えることができれば幸いです。
(なお今回文章を作成するに当たっては菊池先輩・福地君のお二方の「我が時代」を参考にさせて頂きましたので、この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。)
自分は入部したのがそもそも中3の終わり頃だったので、陸上競技部で過ごしたのは3年程になります。3年間この陸上競技部で過ごした後は大学の陸上競技部に入って長距離を続け、現在は大学4年生で大学卒業間近という状況です。
<自己記録>
高校時代は1500mと5000mをやっていて・・・
1500m→4’11’14 5000m→15’50’8
これまでの記事を担当されたお二方との決定的な違いは、「自分は大きな舞台を全く経験していない」ということです。関東大会に出ることなど全く出来ませんでしたし、そもそも都大会の予選で敗退してしまって決勝に出たことすらありません。
そんな自分に書けることや後輩に伝えられることには限りがあると思いますが、以下では私個人の試合だけでなく、当時陸上競技部に在籍していた先輩・同期・後輩も含めた部全体の様子や雰囲気なども合わせて紹介していきたいと思います。
同期(60期)は中長距離が(私も含めて)5名、短距離・フィールドが3名で計8名です。現在の陸上部は(特に中学生などが)人数が多くて羨ましい限りですが、当時は今よりも少なくて一学年あたり5~10名くらいしか部員がいませんでした。
当時のメンバーの主な戦績としては、同期で短距離の箕輪が100mでインターハイに出場したことや、58期の高橋先輩や59期の三木先輩が800mで南関東大会に出場したことなどが挙げられます。また59期の中距離の先輩には800m1分台ランナーが3人(長短の鈴木先輩も含めると4名)もいて、普段からレベルの高い選手たちに囲まれていました。
2004年(高2)支部予選 5000m 15’50’8
高1の春・秋の支部予選では敗退するのが当然のレベルで、自分は都大会には無縁の存在でした。そんな自分が上位集団に最後まで付いて走ってしまって都大会出場を決めてしまった時には本当に驚きでした。
それ以前には同期の箕輪や一つ上の先輩たちが都大会で活躍したり関東大会出場を決めたりする姿は見ていたものの、「あの人たちは凄いんだ(自分には到底無理だろうな)」みたいな気持ちが心の何処かにあって、「自分も上のレベルを目指すぞ!」といったような強い気持ちに欠けてしまっていました。
しかしこの試合を通して「もしかしたら自分のような者でもいけるかも」だとか「もう一つ上のレベルの目標として『都大会決勝進出』を目指してみよう」と思うようになり、考え方が変わったことを記憶しています。目標を明確に持って日々の練習に取り組むようになればまず「しっかりと考える」ようになりますし、また常に上のレベルを目指す姿勢が身に付けば普段から意識も変わってくると思います。
またこの年の支部予選800m決勝では59期の先輩方が1~3位を独占し、非常にインパクトのあるレースを展開されていました。(個人的には自分自身のレースよりも、こちらの方が記憶に鮮明に残ってたりも・・・)
さて、このように私は高校時代に大きな結果を全く残しておらず、最後の高3の時も都大会予選落ちで終わってしまいました。そのような中で、仮にこの記事を通して後輩たちに何かを伝えるにしても「しっかりと考える」だとか「目標を明確に持つ」だとか、基本的なことしか送ることができません。基本的過ぎて稚拙にさえ聞こえてしまうかもしれませんが、その点については予めお詫びします。
しかしながら「そんな自分だからこそ」逆に伝えられることもあるのかな、とも考えています。
競技を続けている中では全選手がインターハイや関東大会に出られるわけでは決してありませんし、天性の才能に関しては個人差があるのは致し方ないことです。人数で考えた場合「天性の才能に恵まれた選手」の数よりも「それを周囲で見ていて己のちっぽけさを感じずにはいられない選手」の方が圧倒的に多いはずです。私が後者のうちの一人だったことは言うまでもありませんが、例えば私の場合、同期の箕輪が細い体なのに10秒台を出したりインターハイに出たりするのを間近で見る度、「やっぱり自分とは違うな」と思わずにはいられませんでした。(もちろん彼の残した功績が、才能に加えて彼自身の努力の結果であることは言うまでもありませんが)
しかしその時に大切なのは、「自分は才能がないから駄目なんだ」などと思わないこと、つまり腐らずにしっかりと続けることだと思います。「天性の才能」がないならないで、「努力する(という)才能」で補完するまでのこと、「自分には才能がないんだ」と思えばこそ人一倍考えて努力し、結果が出るまで我慢強く続けることが大切なのだと思います。練習の質を高めるにしても量を増やすにしてもまずはしっかりと考えるようにし、目標の記録を出すためには日々の練習において一体何をしなければいけないのか、明確な目標をまずは持つことです。そのように「試合での目標」から「日々の練習での目標(=設定ペースなど)」を導き出すことで、普段から意識も変わってくると思います。
私の場合、高校3年間では16分を切るのがやっとでしたが、「自分にもできるはずだ」と信じ続けて大学でも4年間陸上を続けた結果5000mで14分30秒台くらいまでは出すことが出来ました。陸上歴としては7年程なので、中・高6年間を陸上競技部で過ごした人とやっと同じくらいになった所です。あくまで個人的な感想ですが、これくらいの年月を費やすと(たとえ天性の才能がなくとも)「努力する才能」だけでも結果に結び付けることができるように思います。
さて今度は、現在も大学で頑張っている面々を紹介したいと思います。あくまで私が知る限りの情報だけしか掲載できないので60期前後の代のメンバーについてしか触れることができませんが、その点については予めご容赦ください。
まずは同期60期のメンバーから。短距離の箕輪は高校時代の100m・200mの自己ベストが各々10’78・22’80でしたが、今では10’74・21’18まで記録を伸ばし、昨年は日本選手権にも出場していました。長短の木村は現在では400m-48’49、200m-22’03、100m-11’08という持ち記録で、高校時代の自己ベスト50’99・23’28・11’75を大きく更新しています。(ただし高校時代彼はそもそも中距離専門)
59期で800m1分台3名の先輩方はいずれも大学入学後には陸上部に入り、競技を続けていたようです。私が直接に先輩方の姿を見かける機会はあまり多くなかったのですが、今村先輩が関東インカレ800m(参加標準記録は1分55秒台)に出場している姿を見かけたことがあります。
58期の先輩ですと私が知る限りでは中距離の高橋先輩と跳躍の石川先輩が大学入学以降も活躍されているようです。高橋先輩は800mの自己ベストが1’50’75、昨年は日本選手権にも出場されていました。また幅広く多くの種目に出場されているようで中距離選手ながら5000m14’46(昨年12月の記録)という記録も持っています。石川先輩は走高跳で2m01を跳び、こちらも高校時代の自己ベストを大きく更新しています。(各先輩方の高校時代の記録についてはHP『歴代10傑』をご参照下さい)また57期の先輩で5000mの桐朋記録保持者でもある新井先輩は大学進学以降に特に中距離で記録を伸ばし、1500mでは3分台(3’58’0)を記録し、800mでは関東インカレ出場(1’53’50)を果たしています。
また私から見て後輩にあたる面々でも、桐朋卒業後に陸上を続けている人が結構いるようです。後輩に関して私が知る限りでは、例えば農工大の陸上部に現在桐朋陸上部出身者が3名所属しています。(長距離:足立・佐藤、短距離:清水)足立と佐藤は高校時代の自己ベストが各々17分台と16分台後半でしたが、現在では2人とも16分台前半まで記録を伸ばして15分台間近という状況であり、こちらも頑張っているようです。
2004年 南関東大会 熊谷 三列目左から二人目が大垣選手